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2002年4月20日(土)The Slowtrain「復興の詩 8・神戸文化ホール」

 河島英五の命日4月16日が過ぎ、「復興の歌 8」の20日がやって来た。思えば、悲しみからの脱出と、心にぽっかりと開いた隙間を埋めるためにあがき続けた一年であった。

 英五の居ない「The Slowtrain」なんて意味ないさ、などと思ってみたり、自身の存在の不確かさを憂いて、そのやり場のなさを酒でごまかし、他人に愚痴をぶつけることで自己を正当化しようとした。英五という柱を失った私の精神は、拠り所を無くし、ともすれば後ろ向きの人生を歩む結果と成りかねなかった。

 そんな私を救ってくれたのは、やはり音楽であり、友人であり、英五が遺してくれた数々の想い出であった。

 「復興の詩」への参加を、逡巡していた私を決断させたのは、ファンメールの次の文章だった。

 『「復興の詩」ではノリノリで演奏しておられる元気なノーマンさんのお姿を見せてくださいね。私達ファンにとって「復興の詩」は年に一度スロートレインのメンバーの皆さんと河島ファミリーに会える日でもあるのです。ノーマンさん頑張ってくださいね!』

 私は、己の事だけで汲々としている自分を恥じた。存在の不確かさを憂う心を恥じた。自分の存在は不確かなものでは無く、周囲の人々に支えられて、確かに存在していることを気づかされた。そうだ、私は私の心の中に永遠に存在し続ける、英五に逢いに行こう。河島ファミリーに逢うために行こう。応援してくれるファンのみんなに、元気な姿を見てもらうために行こう、と思った。

 神戸へは、私は前日の19日移動となった。ピアノの渡辺和栄と前マネージャーの原 久尚は18日移動で英五の墓参りを済ませた。

 明らかに、前年の「復興 7」とは参加者の雰囲気が変わっていた。英五の想い出は時間が立つ程に深まって来ているが、誰も後ろ向きにはならずに、未来へ力強く前進して行こうとする意欲に満ちていた。それはとても頼もしく、うれしい出来事であった。

 コンサートは案の定、客席からの「英五コール」で始まった。幕の後ろにスタンバイしていた私の両足は武者震いをし、目頭は熱く涙が溢れた。ファンのみんなへの感謝の気持ちで、胸はいっぱいだった。その時、渡辺和栄の弾く「心から心へ」のメロディが静かに流れた。私の心の中の英五が静かに笑った。

 笑福亭鶴瓶は、昔のままのアフロヘヤーとジーンズのオーバーオールで登場した。唄った「生きてりゃいいさ」の歌詞、「もう逢えない人に、ありがとう」の部分で、また私の目から涙がこぼれた。

 モンゴルからはるばる来てくれた「アジナイホール」は、馬頭琴とギターで英五メドレーを演奏した。澄んだ音色に心を洗われた。

 堀内孝雄は、昨年の紅白歌合戦と同じ「酒と泪と男と女」を唄った。私も舞台袖で思わず口ずさんでいた。

 私は、「復興の詩 8」に参加出来たことを心から幸福に思った。来年も喜んで参加しようと思う。さて「復興 8」は終わってしまったけれど、明日からは「9」に向かって歩き出さなくてはならない。みなさんと手に手を取り合いながら、一歩一歩、歩んで行きたいと思う。みんな、ありがとう・お疲れさま・・・。    

以上

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