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英五追悼 〜慎んでご冥福をお祈りします〜

2001年4月16日(月)午前3時22分「河島英五」永眠

 訃報を聞いた私は、ザ・スロートレインのメンバーの植木、鮎川、元メンバーの吉田、元音響担当の桜井、外部スタッフの服部らと待ち合わせて、通夜の行われる奈良市秋篠町へと、東京駅より新幹線へ飛び乗った。

 訃報を聞いた瞬間は頭の中が真っ白になり、何が起こったのか分からなかった。退院して来た英五は、やせ細ってはいたが確実に元気を取り戻しつつあるはずだった。 私の体はショックで震え出し、まず自分が何をしなければならないのか、分からなかった。それでも、英五のもとへ駆けつけたいと思い、旅の支度を整えた。

 すでに現地へ飛んでいるマネージャーの原と鈴木に状況を聞こうと思ったが、マスコミ取材の電話や関係者への連絡で、彼らの携帯へはまったく繋がらなかった。そこで、音響担当の三輪から、断片的な経過・状況を聞いた。

 通夜の席で、長女あみるは気丈にも、英五が倒れて亡くなるまでの経過を話してくれた。

 14日にミニLIVE(谷、あみる参加)を終えた英五は、翌15日に再度吐血、意識を失い病院に担ぎ込まれた。医者も「もう奇跡は起こらないでしょう」と言う状況だったが、それでも東京へ行っている次女あなむが戻るまで、生きていて欲しいという思いで、家族は英五の手足をさすりつづけた。

 奇跡は起こった。英五の意識が戻り、あなむも間にあった。英五は「水が飲みたい」と言ったり、自ら起きあがってトイレへ行こうとしたりした。前日のLIVEを「楽しかった」と語り、あなむに「あの曲、唄ってくれ」と催促した。唄い終わると「いい曲だ」と言った。あなむも安心して、自宅へ風呂に入りに戻っている間に、英五は眠るように逝った。午前3時22分だった。

 通夜の席の別室で、英五は「ほろ酔いで」夢見るような、満足げな表情をして横たわっていた。かたわらには、泣き崩れたように英五をしっかりと抱きかかえたあなむが、添い寝していた。それを見た途端に大粒の涙がこぼれた。英五に「20年間ありがとう。あなたの残してくれたものを、未来へ繋いで行きます」と、手を合わせた。

 通夜の儀式が終わり、ねぎらいの想い出酒に酔うと、友人のひとりが「英五」を起こしに行こうと言い出した。「本番です」と言ったら起きるかな、とか、本ベルを鳴らしたら起きるかな、とか言い出した。

 英五の訃報は、瞬く間に日本中を駆けめぐり、多くの人々の心を揺さぶった。通夜・告別式には、生前親交があった多くの芸能人、音楽関係者、マスメディア関係者が参列した。「あのねのね」の清水國明、原田伸郎、鶴瓶、BORO、イルカ、桑名正博、堀ちえみ、ラモス、桂 三枝、桂 南光、大助・花子、その他吉本の芸人たちも多数参列して下さった。

 私の友人たちも、私に多くの電話やメールをくれた。それは、何年も合わなかった人や、もう二度と逢えないだろうと思っていた人からだった。私の落胆を気遣う、やさしさと励ましに満ちたメッセージが込められていた。本当にありがたいことだ。この場を借りてお礼を言いたい。

 いよいよ、英五とお別れの時が来た。英五が最後に残した歌「旧友再会」をみんなで合奏・合唱した。出棺の時、ファンの中より自然に英五コールがわき起こった。「英五!英五!英五!」英五コールは次第に叫び声に変わり、そして鳴き声へと変わって行った。英五は、二度と目覚めてはくれなかった。

 クラクションが鳴り、棺を乗せた車は静かに走り出した。ファンの「英五、ありがとう!」の声。その時、メンバーの谷が「俺たち、がんばったよなあ。俺たち、がんばったよなあ!」と叫んで泣き崩れた。私は谷と抱き合って泣いた。

 英五は夢見るように、多くの歌と想い出を残し逝ってしまった。        

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